木村大ギターリサイタル@渡辺翁記念会館

今までで一番美しい「ロミオとジュリエット」を聴いた。新しい曲も過去に私が知らない表現が多々あってスゴイなって思ったけれど、でもやっぱりクラシックな曲は、確かにその真髄を味わうような気分だった。古い曲なのに、なんて鮮やかな気分を今に蘇らせるのだろう。時間などない境地に連れて行ってもらった気さえする。

あの美しい音色の要因は何なのだろう?と思う。普通の人が1つの曲を仮に100の要素で弾くとすると、音譜の数は一緒でも、400いや500?それ以上?の要素で表現がしてあるように感じる。言葉に表現できない美しさがある。それは、修練して修練して修練したのちに表現に至ったものだと思うけれど、演奏にはその苦労はまるでみえず、繊細な優しさに満ちている。そして生き生きとした命と力強さに満ち溢れている。

一部は一階席で見ていたけれど、二部はお客さんもガラガラの二階席最前列中央(B席の空席)に席を移して聴いた(勝手にゴメンナサイ)。因みに、音響的には一階席の端(A席)で聴くより、二階席の前列中央(B席)で聴く方がいい。一階と二階の空気の温度差がかなりあって二階の方が音がモワッと膨張していたけれど。岩国のパストラルホールの音響がとても良かったので、渡辺翁記念会館の音響を(照明もかな・苦笑)ちょっと残念な感じにおもう。

二部の最後の方に、彼が初めて作ったバラードで「聖母の御子」という曲があった。なかなか口にしては上手く伝えられない想いを曲に込めて、お母さんに捧げられた曲らしい。彼のお父さんはすごく厳しい人で巨人の星星一徹みたいな人で、対照的にお母さんはとてもとても優しい人と言っていた。男の子にとって、お母さんの存在は特別って言っていたけれど、そうだろなと思う。でも、きっと誰にとっても母は偉大。偉くて大きい。「大切な人を想いながら聴いて下さい。」と弾く前に言葉が添えられた。

人の少ない二階席で身を乗り出すように聴いていたら、2、3小節聴いただけでジワーッと涙が湧いてきた。何か明確な記憶が蘇ってきて悲しくなった訳ではない。いつもの老化現象によるものというのは多分にあると思う。でも美しく昇華されていった数々の何かを感じるような気がして、それらが本当に美しく感じられて、いつもは開かない所が自動的に開いていた気がする。

「聖母と御子」は「聖母とお母さん」のようでもあり「お母さんと息子」のようでもあり。そして、木村大って言う人は、男の子(ってもう子供じゃないけど。リサイタル前日がお誕生日で多分29歳)なのに、時々マリア様みたいに見えたりもした。「聖母と御子」はまた「木村大と演奏を聴く人」にも該当するかもしれない。そして私も、自身の何処かが聖母になってしまうような、そんな気分になってしまう瞬間があった。

今回でリサイタルを聴くのは4回目。進化していきたい事を以前にも言っていたように思うけれど、いい加減上手いのに、それ以上に進化があるのだろうか?と思っていた。でも、先回より進化していたように思う。ギターって本当に色んな音が出る、出せるのだなと思う。いつも感じるのは「風」だけれど、今回は「大地」の音も沢山聞こえてきた。ハーモニックスの音はグラスハープの音が球体になって遠くまで飛んでくるようだったり、ハープのメロディーが流れてくるようにも聴こえてきた。それからギターは打楽器的な使い方もできるのね。

今回印象的だったのは、弱い音の響き(滞空時間?)。集中を保ちつつ、小さい音に美しい力を与え、弾き続けられる能力。それを得るためにどの様な、どれ程の練習を重ねてきたのか。弱音に色彩を与えられる人。弱音をコントロールし美しい力を与えられる人。弱音気味にして、下からかきあげて上に流すストロークも溢れるものがあって、とても美しく空中に響いていった。

アンコールで「アメイジング・グレイス」を皆で歌った、というかハミングをした。アンコールは会場によってそれぞれ違う選曲をするらしい。今回宇部ではアメイジンググレイス。「ハードル下げたんですけどね」と笑いながら言ってたけど、私もだけど、歌詞覚えてないよね(苦笑)。アンコールからが一番リラックスできて、いつもここから本番という感じなのだそう(笑)。

宇部は、とてもリラックス出来る感じで家の中で弾いているみたいとも言っていた。指定席は宇部音鑑のやや中高年の方たち?も多かったようにも思うし、全般的に多分他の会場よりかなり平均年齢が高かったのでは?(笑)だから余計にアットホームな感じだったのかもしれない(笑)。楽しかった。

「聖母の御子」をとても気に入り、そして録音されている曲を見ると「ブエノスアイレスの夏」や「亡き王女のためのパヴァーヌ」が入っていたこともあってCDも購入して帰った。勿論サインもしてもらった。ブックレットの方ではなく、赤と黒の情熱的な色のCDの方にサインをお願いした所、黒の部分を避けて、空中で少し練習した後、狭い赤色の部分にサインをして下さいました。いい歳して一寸ミーハーと思いつつ、でもニッコリする私。ありがとうございます。

因みに今回の衣装は黒地に赤いバラのシャツでした。

家に帰ってから、サインをもらったCDをかける。「ブエノスアイレスの夏」はバンドネオン的表現はできないから、ギターの持ち味での表現の仕方に、なるほど、と思う。しかし、大好きな「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、え゛っ〜???っとその解釈に驚くやらクエスチョンになる。脚色無しのすぐ側の個、そのまんま。ちょっと中世な感じもする。暫し悩みそうな感じもまだ満載だけど、でも、そうかもね。それがいい。きっとそれでいいのだと思う。より新しい次の為に。←何言ってんだか?笑

何気にサインの入ったCDを探し出してみる。それぞれに日付もあり。「駿馬」2001/10/29(宇部渡辺翁記念会)まだ十代ででも自信満々な子供って感じだった(笑)。「Californica Breeze」2005/9/29(山口らんらんドーム)この時は、音に色が見えると言っていた。普通の人には捉えられない世界をつかむことができ、またそれを確かに知ってこれからも表現していくのだろう。「LONDON ESSAY」2006/12/2(周南市文化会館)。ロンドン留学はなかなか大変だった様子。そして今回の「INFINITY」2011/2/16(宇部渡辺翁記念会館)。私にしてはこんなにずっと気に入っている人も珍しい。

「INFINITY」のライナーノーツによると、彼は自身の音が、音を聴けばすぐに誰だか解る様な演奏者になりたいのだとか。アッコちゃん(矢野顕子)のピアノの音色がアッコちゃんだと解るように、木村大という人の音も、もしかしたら解る人には解るかもしれない。

NHKの大河ドラマ「江」で流れる音に、ほんの微かだけど、何処かが反応したのは覚えている。彼の演奏が流れていたのだろうか。

彼の音は、深いリラックスと目覚めの感覚を同時に感じさせてくれる。脳波が瞑想状態に近くなっている可能性大。

そういえば、家に帰ってきてから、全く意識しないうちに心身が深部まで緩んでいたのか、物を動かす指先がきれいに動くし、物に優しく触れられることができて、自分自身を優しく感じられた。音楽療法(半分睡眠療法?)?にもなっていたかもしれない。ありがとう。

彼はおじいちゃんになった時、どんな曲を選び、どんな音色で演奏するのだろう?その時にはもう私はこの世にいないな。さあ、次はいつ、どこで聴けるかな?


木村大って人を知らない人の為に動画添付しておきます。

後日発見記事!サッカー好きだったなんて!!!@@
http://homepage2.nifty.com/taisuke/kimuradai.htm