転がっていく音たち

12月は、旅にでた月、看送った月、今まで思い出しても色々とあった月だけれど、何故かそれぞれの多くのことが奇麗な気持ちで思い出せる月。空気が冷たくなってくると、その冷たい空気が毎年私に刹那に幸せな時間を想いださせる。空気は冷たいけれど、クリスマスの月は、街全体もそして人々の心もいつもと違う幸せ感があって、その冷たさと人々の温かさのコントラストがいい。それを近くからと遠くから眺められるような気分になれるのがいい。


昨日は、ひびきの森でのコンサート(りえさんからのクリスマスプレゼント♪)をのぞかせてもらった。大きなもみの木にクリスマスリース。周りの自然に呼応するように、ひびきの森(建物)も段々と冬の時間を帯びてきた気がする。

りえさんが好きだと言われていたシクラメンを片手に開演時間ギリギリに会場に入っていくと、照明を落とした中で丁度コンサートが始まった所だった。

ひびきの森にあるグランドピアノは、りえさんやToshi小島さんの奥さんの七海さんなどが弾かれていたのを聴いたことはあるけれど、その道のプロの方の演奏を聴いたのは今回が初めてだったと思う。あのグランドピアノがあのような音色を奏でてくれるなんて思ってもいなかったので「え?このピアノこんな音がするの?」とその音色の良さに驚いた。昨日はグランドピアノさんも、自分をステキに響かせることができて嬉しかったに違いない。しかし、ひき出す人によって、こんなに音が違うとは・・・。

今回ピアノを担当されたのは、防府市出身の山根浩志さんという方。プロフィールを見ると色んな所で多様にご活躍されている方のよう。今までそれほど多くのピアノのコンサートに出かけていったことがある訳ではないけれど、今まで聴いた演奏とは味わいが違った。

一番感じたのがピアノの音色の多さである。高音の音は水禽窟のように聞こえたりもした。音階の無い太鼓が鳴らし方によって随分と変わるように、音階のあるピアノではあるけれど、今思えば打楽器的(ってピアノは打楽器でしたね?)な音の扱いも同時にされていた気がする。

多彩な音色と共に、色んな風景や印象がクリアにそのままに描かれていく。下手に音をコントロールしようとされないで、そのままを描くという感じの音。人間の重みといったような重低音の音からは少しはずれて、そこに人の繊細さや小さな温もり、そしてそこにある自然と自分が一体となって感じられるような音たちだった。

高音の音が、まさにコロコロと鍵盤の上に転がっていく。そしてパッと音が消えたかと思うと、そこにほんの一瞬無音の余韻が残される。そしてまた何処からともなく違う世界に繋がっていき、新たな世界が描かれていく。いろんな音色とともに、いろんな印象がやってきて、それに包まれる。こちら側から自然に引き出されてきて味わってゆける余地さえもあった。

音の粒がとてもそろっていて、巧さの方に注意すれば、それはとても修練された巧みさがあるのだけれど、巧みさを驕ることはない。人の気を引こうとか、そういった所はなく、違いを持った聴き手とも、一緒に音や風景の中。

音楽のその側に、自然に居させてもらえた。隔たり無く、同じ色のなかに。そして時折なぜかそこに日本人らしさのようなものも感じた。

今回、今まで聴いたものとは違った点の二番目は、すぐ近くで演奏を聴けたということ。ピアノの演奏会で、どんなに近くの席で聴けたとしても、今回ほどすぐ近くで聴けることは無い。ありがたくとても贅沢な時間だった。

「G線上のアリア」「美女と野獣」「アメイジング グレイス」etc. 馴染みのある大好きな曲を沢山聴かせてもらった。表現者それぞれにいろんな味わい。「亡き王女のためのパヴァーヌ」は好きな曲だけれど、これまた変わった表現だった。シベリウスの曲(曲名は覚えておらず)も知的な味わいの山根さんらしい感じでよかった。

ガンバ大阪(優勝しましたね!)の大黒選手にちょっと似たサックスプレーヤーの方の演奏も、山陽ありすの家メンバーの方の優しく包み抱く歌声も、それぞれの持ち味がよかった。

りえさんをはじめ、皆様今回もありがとうございました。