二度目のぬーじの会

前回の11月に初めて側で高見先生のピアノの音を聴いた時、ピアノを弾ける人を羨ましく思いつつ、でもその音に余り私の心は反応をしめしていなかった。鳴らされた音による共鳴度は低かったと思う。今回は、何曲かが私の心を捉えた。私の聴き方が変わったのだろうか?高見先生も以前よりピアノを自分のものとされていた気がする。最近職場で嫌だった人が気にならなくなったと言われていた。本当の自分のやりたいピアノの方にエネルギーが回るようになって、エネルギーを他に奪われることもなくなられたご様子だった。
ピアノを聴く私も、前回よりも歌を歌うという場に慣れてきて思考とは別に身体が知らぬ間に開かれていたのかもしれない。帰りの車の中で、自分の話し声に日頃ない低音の要素が多く響いて、声を出しながらその自分の声を聴くのが面白かった。自分が居た場所の状態によって、声は変わるなぁと思う。頭はそれを解らないけれど、身体は気付かぬうちに解かれていた。

誰かの伴奏をしたり、共演して一緒に音を合わせるのがとても好きと高見先生は言われていた。共に演奏をしていると、時々ピタッと合う瞬間があるらしく、それはとても心地よく、素敵な感覚らしい。以前YAMAHAの季刊誌でそのような事が書かれた記事を読んだことがある。素人同志の演奏であったとしても、ピタッと合った時の快感がある。音的にもなのだろうけれど、何か目に見えないものまでもがすごく上手く共鳴し、融合するのだろうなと羨ましく思いながら、その状況を想像する。

優秀でエリートな高見先生。優秀な人に間近に出会うと、多少引け目も感じたりもするけれど、折角のご縁。生かして味わえたらいいなと思う。
なんだか、もう少し音楽をしたくなってきた。