選択をするということ

何かを選ぶ。きっとそれでいいと思って。

でもそれを選ぶと、少し寂しい思いをすることがあって、

その選択は良くなかったのだろうかと、またちょっと考えてしまう。


今まで過ごした楽しい時間。

これから過ごしたであろう楽しい時間。

それを思えば、私の選択は正しくないのだろうか。


どんな積み重ねをしてゆけばいいのだろう?

自分にとっても、周りの人間にとっても、「それは、いいね!」っていう選択を重ねてゆければ、きっとそれが一番いいのだろうけれど。

自分に合っているだろうと思うこと。自分に合っていないかもしれないと思うこと。

色んなものが交錯する。


どの道にも、開かれていく道はあると思う。

行き着く先も一緒なのかもしれない。

でも選択する道によって、見えてくる世界もあれば、隠れてしまう世界もある。

選択する道によって、私の世界は違ってくる。



ここ数年来の友達と、今日もまた出かけた。

いつものように、人のあまりいない、静かで自然のキレイな所にでかけた。

いつものように、友はミルクたっぷりのコーヒーを用意してくれていた。

そして、いつものように、ランチをとって、そしてお茶をして、面白い話を沢山聴いて帰った。


ここ数ヶ月は、一緒に出かけることが多くて、

まるで、恋人同士みたいね、なんて言っていた友。



悲しませたくて、選ぼうとしている選択なのではない。

でも、選択をするときに、その選択と引き換えになるものが出てきてしまう。


ひとりの時に、ひとりでない時間をくれた友。(でもやっぱりひとりだった気がするけど)

ひとりでなくなろうとするときに、また私の何処かはひとりになる。(でもやっぱりひとりじゃないかな)



私に残っている時間の過し方。

どれが適当、適切なのかよく解らない。

でも、歩いていれば、大好きなきれいなお花に出会えたり、またきれいなお花を誰かにプレゼントできるかもしれない。


会える時間が極端に減ったとしても、会えない訳でもなし。

私が生きることで、友に喜んでもらえるますように。

神様が、私たち二人ともに、祝福を下さいますように。