ジャーナリストなお坊さん

二ヶ月位前の事だったろうか?友から女性のお坊さまのお話を聞いた。友の勤める会社の社長が飲み会の席に呼ばれたお坊さまらしいが、自称ジャーナリストでもあるらしかった。女性ながらに世界各国を一人であちこち行かれては取材?をし、物を書いたり、講演に行ったりされているらしい。

そのお坊さんのおられるお寺は、何故か十数年前にお絵書き教室の先生が襖や天井障壁画を描かれていることを知って、教室の帰りに一緒に習っている人と一緒に見に行ったことがある。襖には金箔が押された上に描かれた紅白の牡丹や桜。天井にはおきあげ胡粉という技法を使って描かれた鳳凰や龍。1円で家が建つ時代にたしか百円をかけて建築したという話も聞いた。宇部興産菩提寺としていると聞いたようにも思う。しかし、そんな名物お坊さまがおられるとは全く知らなかった。

週末、友は飲み会の席で、その風変わりなお坊さまと話をする機会があったそうである。二ヶ月前の飲み会で、アフリカ(どの国かわからないけど)に行ってくると言っておられたそうだけれど、先月女性一人でアフリカに行ってこられたらしい。

女性一人で危険なアフリカに行くなんていうことは、私としては信じられないけれど、難民の子供達の取材に行かれていたとか。

そのお坊さま(アッチャン)が行かれた所は、捨てられた子供達をかくまう施設。

難民となった親たちは子供を育てる事ができず、子供達を捨てていく。女の子は利用価値があるとして売られていき、そして男の子達は洗脳されて、少年兵士となる。

子供達は捨てられたという事がトラウマとなるが、その事を、捨てられたのではなく選ばれた優秀な人間なのだと教育されつづけ、やがて子供達は銃を手に渡されるようになる。人の為、神の為、と心を向かわせ、そして本来の人間的な自分自身の心をなくした子供達は、人を撃ってしまえるようになっていく。

映画「ダーウィンの悪夢」や、ミクシィのミッシェルさんとい方の日記(記録)などを通じて、今までも少しは触れてきたこと。その時は、重く受け止めるのだけれど、すぐにまた忘れてしまう。人間、辛い事実ばかりをずっと抱え続けることは無理だと思うし、忘れてしまうのも仕方のない事だとも思う。でも、もしも、仮に多くの世論が戦争に加担する側に寄ってしまうような事態になったとしても、一人でも私個人は反対ですと言えるためにも、根も葉もある事実はしっかりと知っておく事はとても大切だと思う。

以前、たまたまネットでみたアフリカ(エチオピアのどこかだったかな)は、とてもステキな場所だった。緑があって、畑が地形に沿ってつくられて、土地自体がとても高いエネルギーを持っている感じで、人々の姿は気高く美しくて、本当にステキな場所だった。場所にもよるのだろうけれど、多分、本来のアフリカってこのような場所なのではないかと思った。アフリカも、日本も、私も、本来的な所を大切にして、それぞれ固有のものを大切にして、いきていけるようになるといいなと思う。

しかし、このお坊さま、一度お会いしてみたいものである。通りを歩けば、みんなが声をかけ、語尾にはいつも「〜〜ぴょ〜ん」とか言われるらしく、ヘアースタイルは左右二箇所ほどゴム紐でとめてあるとか?

講演もしておられるそうで、次回は兵庫であるらしい。ヘヴィーな話ばかりだと、飽きて聴かなくなってしまう人もあるので、如何に楽しく、そして必要な事は記憶に残る話をするか、これが講演のテクニックなのだそう。

ジャーナリストとして書かれたものも読ませてもらいたいし、山口で講演会があれば、行けるといいなと思う。

さて、友の方は、先週末の飲み会で騒動があったらしく、おまけに餌をあげていた半野良の猫の大くんも日曜日に死んでしまったそうで、今週は週明けから友は色々大変そう。皆それぞれに見守られながら、最善の場所に落ち着きますように。