「森」と神と人―山口県における「森神信仰―

親分、もとい、番長、もといっ、観音様よりの「お話聴きに参りましょう〜(講演会行かな〜い?)」のお誘いには、引きこもりのカエルもむろん出かけずにはおれません。
密かに、観音様お抱えの従者にお会いしたかった事もあり、「しめしめ、これで、P大先生(通称Pマン)にお会いできる、ムフフ。」勿論、P大先生にも会えました。
P大先生、高慢な私を疎んじて、はじめちょっと逃げられもしたけれど、後にちょっと側にも来ていただけました。嗚呼〜うれしぃっっ。

さて、講演会の方の演題は『「森」と神と人』。思い起こせば中学生の頃、一人で森に住みたいと思っていた私。勿論それは、多くのものに依存して生きているということも解っていたので、当然無理と解ってはいたけれど。人は一人では生きていけません。

お話は途中休憩なく1時半〜4時までありました。1時から座ってたので、お尻が痛かった。途中冬眠しかける私。

話の内容も面白かったけれど、お話された徳光亞木先生の風貌(お顔と手の表情)が良かった。(どこを見ているんでしょうか??・笑)雰囲気というか御姿が岡倉天心みたいだなぁと思いつつ眺めていた。この方、学生時代からバイクでフィールドワークをしておられたらしい。山口の地形はお好きなのだそうで、山口は山々が九州と違って丸っこいと言われていた。言われてみれば、さもありなん。というか、私も近年、山口は山がいいねと思うようになった。山頭火も山口は山がいいというような句を読んでるみたいだけれど、車の速さではなくて、歩きだとか、自転車の速度で山と接すると、山口の山は、なかなかいいものだと思える。

さて、山口県における「森神信仰」について。手元の資料によると、「森神」とは聖地としての「森」や樹木を祭場・依代とする神、のことらしい。そう言われて思い出すと、田圃の中にこんもりとした木が生えている所や、祠があるところは、それなりに目にした事がある。何でこんなに小さい祠を私の目はキャッチしてしまうんだろうね?と思うのだけれど、車で走っていても何故か目にとまる。森や山にしても、「ん〜この山は、なんかヘン!」と感じる山がある。

徳光先生が講演の中で、「森や小祠というのは、うつし世とかくり世、この世とあの世、との通路」と話されていた。世の中は種類にしろ、力にしろ、膨大なエネルギー、また空間が存在しているはず。そしてそこへ向かう通路もあるのだと思う。色んなうつし世とかくり世があるのだろうと想像するし、また時々人間ってそういう何か不思議な力をキャッチしたり通じ合わせたりしているように思う。

無いけど、ある。あるけど、無い。そのようなもの。無視してもいけないし、下手にとらわれ過ぎてもよくないかな。

そういえば、木削り教室の滝本ヨウ先生は、以前は都市計画に携わるような仕事をしておられたそうであるけれど、都市開発で大きな木を切ることをとても嘆いておられた。依代をなくしては、通じることができなくなれば、人は死に(仮に生きていたとしても死に)この世は乱れる。

今日の講演会、多くの人が聴きに来られていたけれど、たぶん平均年齢を出したら60歳は越えているのではないかと思う。65歳以上かも?

現代人は土着のものを大切に思う心は希薄かなと思う。都会に暮らせば、馴染んできたもの中に、土着のものがあまりなかったというのもあるかもしれませぬ。

妄信するのはよくないけれど、でも、古から大切にされてきた想いというのはある。大切に思う心の拠所。人それぞれに育まれてきたなかで、その種類や想いの範囲等々違っていると思うけれど、それぞれにそれは大切。

大切にできますように。見えるものを、見えないものを。
大切にできますように。うつし世も、かくり世も。

守られますように。見えるものに、見えないものに。
守られますように。うつし世と、かくり世に。

そして、幸きたまえ〜〜  ピュ〜〜〜ン



ね、Pマン♪







講話〜
下関市蓋井島の山神神事(空間を刀で切る=ある一定の神を留めさせない)/舟魂/両墓制(腐敗の家庭で生じる穢を避けるために、遺体を離れた場所に埋葬し、浄化された魂を生活の場の近くに迎えて祀る習俗)/沖縄や南西諸島に見られる遺体の骨化を待って改めて葬る洗骨改葬習俗がかつて本土にも存在/満州族←祖霊に高められた死霊が樹=森に宿る/日置平野トオノモリ←景観と伝承が結びついている/大歳講(お笑い講も大歳講に含まれる)大きく笑わなければ次へ渡せない。笑いには壊す力がある。古いものを壊して新しいものを興す笑いの力/貴船,河内は水神系(龍場)/宇野令天花村の降臨石(大元)天造の石壺=天の眞名井=例の井/下関市鯖釣山/地神盲僧,地神祭,虫送り/ 等々