彩雲

Mさん(のご主人)の所へ伺った。奥さんが亡くなられて半年。身近な人が姿を消すというのは、本当に大きいこと。その人という世界がすっぽり亡くなるのだから。Mさんの所へ行く道を通っていると、Mさんは居られないのに、Mさんに会いに行くような気分になる。もう居られないよと自分に告げて先へと道を進む。

午後から伺いますねと言っていたのに、少し時間が遅くなったので「今日はもう来ないのかと思って布団をひいて寝るところでした」と、ご主人が玄関を開けながら私に言われた。ご免なさい。最近眠くて眠くてと言われるMさん。大切な人を亡くした直後より、その後の方が余計な事を考えて、ストレスを溜めがち。一人暮らしだと余計なことを考えて、その考えから抜けられなくなることも多い。私もよく考えすぎで疲れ果てて、脳はやたらに休息を求めていた時があった。今も相変わらずの所があるけれど。

奥様の遺品の片づけを少しずつされては、私に「要りませんか?」と知らせて来て下さる。今日もリスの形をしたクッションやお手製の布のカバン、解いて洗い直されたシルクの薄手の生地などを下さった。高価な着物も勧められたけれど、受けて良いものやらどうなのやら判らず、とりあえず今日の所はご辞退しておいた。

草ぼうぼうになってしまったけれど、また畑で作物を作ろうと思うと言われていた。それはいい、それがいいい。土は人を癒してくれる。外に出れば気分も変わる。自然は知らぬ間に何処かを少しずつでも回復させてくれる。人でも草でも花でも、なんでもよいから生命に触れることで、何かに繋がっている自分であることを想い出せれば、また少しずつ元気が湧いてくるはず。

私が包んだお花料のことを多少気にしておられたから、その所為もあるのかもしれないけれど、「今度は、何処かお寿司でも食べに行きましょう」と声をかけて下さった。「ええ、そうですね。」とお返事をした。

迷惑をかけずに生きることも大切だけれど、自立することも大切かもしれないけれど、できるだけ無理が少ないようにと願うばかり。そして何かをほんの少しお互いにシェアできたら、たぶん少し幸せになれる気がする。

私も、Mさんが私のことを心配しなくて済むくらいの私になれますように。私のことを想い出してもらえた時に、元気が湧いてくるような私でいれますように。

お互い、元気でいましょうね。


この日、Mさん家に伺う途中に、彩雲が現れていた。生まれて初めて見たように思う。粒子の細かそうな雲が現れていて、日頃見ない雲が出ているなぁと思ってみていたら、それから数分後ぐらいに、虹色の雲が現れているのをみた。本当に美しく虹色を帯びていた。幻日は以前何度か見たことがある。よく見る場所があって、場所的に気象現象が現れやすい場所というのがあるのだろうと思っていた。そして彩雲はこのあたりでは現れることはないのではないかと勝手に思っていた。けれど、それは単なる私の思い違いで、現実に家からすぐ近くの場所に彩雲は現れていた。

こんなレアな現象が現れる時に限ってカメラを持っておらず。家から3分程度車で走った所だったので、お願いだからもうしばらくその姿をみせていてと祈りながら、家に戻った。ありがたいことに、家についてからも彩雲は西の空に暫くの間その美しい虹色をみせてくれていた。本当に奇麗だった。ありがとう。いいことありますように。あるといいな。