お墓

お彼岸の本日、テレビのニュースで昨今管理ができないという理由でお墓の撤去をする家が増えてきていると言っていた。一か所に集められ投棄された沢山の墓石は少々異様だったけれど、核家族化、転居、今の世の中の在り方からすれば、必至の現実である。

数年前、Mおじいちゃんのお墓参りのアッシーをしてあげたことがある。Mおじいちゃんはそのお寺の墓所でバラバラに葬られていた親族のお墓を一つにまとめられ、新たにお墓を建てたと言われていた。墓石には「倶会一処」とあった。そのお墓を作ってから随分経つみたいだったけれど、遠い事もあって10年近くお墓お参りはした事がないと言われていた。

その時、息子達はお墓のある所を知らないと言っておられた。Mおじいちゃんの息子さんは関西と関東にそれぞれ長く住まわれていて、多分Mおじいちゃんが亡くなられた後、山口に帰ってこられる事はないだろうと思う。Mおじいちゃんにはお孫さんもおられないし、ご自身もたしか一人っ子であると聞いたように思う。Mおじいちゃんのお墓は今後どうなっていくのか。

私の家にも父が建てたお墓がある。私が生きている間は私が面倒をみるとしても、その後どれだけの間、誰が面倒をみるのか。放っておけば4、5年もすれば草茫々になるだろう。

そして私自身は、どこのお墓に入るのか。そもそもお墓に入るのか。死んだあとの手続きは色々あって生きてきた分だけのお世話を誰かにみてもらうことになるけれど、その負担は少しでも減らしておかないといけないとも思う。

私のような人の場合、お墓はいらないのだろう。お墓という形がなくても私の事を知っていて好意的に思ってくれている幾らかの人の心に時々浮上してきたらそれで充分だろう。遺骨はできれば粉にして、海と山にそれぞれ少しずつまいて欲しいけれど、その面倒を誰かが快くみてくれればいいけれど、どうなることやら。