愛おしい香り

今月鹿川の魔女様の所へ行って若い女の子と知り合いになった。二十代女子で私と親子に近いくらい年が離れているけれど、私の方はすっかりお友達のような気分。若い子よりもお年寄りの方が好きだし、若い子は苦手な人が多かったりもするけれど、でも結局は「人」で、その「人」が好きか否か。それはもう本能のようなもの。万人を愛せる能力もすてきだと思うけれど、私という個別の個人的な一つの生物に関して言えば、生物である以上、好き嫌い、私に適する適さない、はある。

声フェチ?である私は、魔女様のお宅に電話をしたときに、魔女様に変わって電話口に出てきた女の子の声を聞いた時「あ、この娘、好き!」と思った。「なんだか、喋りたい」とも思った気がする。人見知りである私は、少しドキドキして鹿川で本人と会った。最初あった時には特別にピンと来るものがあったという訳でもない。でも何となく私に似ている所がある気がした。今思えば、嗅覚のようなものだったかもしれない。その女の子が元気になると、私も元気になるような気がした。そして今は、やっぱり嗅覚に従うべしと思う。

最近彼女はミクシィに連日で日記をアップしている。つられて私もここ連日ブログを更新している。特に無理して書いている訳でも、義務で決めて書いている訳でもない。なんとなく書こうかなという気分。その気分は彼女の存在が少なからず影響していると思う。ちょっと嬉しくて、そして、楽しい。

若い女の子の書いている日記を読むと、ちょっと気分がアップしていい。最近の話題はお香や香水。「好みの匂い」に共通するものがある気がしている。私は甘ったるい香りが苦手だけれど、彼女も甘い系統の香りは苦手らしい。

好きな香りが一緒というのは、とてもうれしい。同じ香りを吸って、同じように深く呼吸ができるということ。好きな場所で同じように多分深く呼吸ができる気がする。

ミツロウクリームにエッセンシャルオイルを垂らしたものを時々使う事もあるけれど、それ以外では、ここのところは香水を使うような事はほぼ無い。はっきり言って、香水を使うようなシチュエーションや気分もまるでなし。香りが何かをもたらさないほどまでに落ちたからかもしれない。場や人と、香りの妙なる一致を、そういえば最近全く見たことがない気もする。

日記に「この頃は、香水を買いたいという気分にもなれず、、、 」と書き込みを入れたら、つづくコメントに「その昔に贈られたお香の香りが一番好きな香り…」という書込みが追加されていた。

・・・ステキ・・・・

香りと、記憶は、結び付く。
私の中にある香りの記憶。可笑しなものの中には、絨毯に掃除機をかけた後の少し埃っぽいにおいとコーヒーの香りが混ざった香りは、私にパリのホテルを想い出させる(笑)。香水COCOは冬の日の美術館ですれ違う大人の女性を想わせる。香水ではないけど、お寺の本堂(畳や柱)に染みついたお香(だけでもないだろうけど)の匂いも、私の何処かが拡散して場所以外の何か(記憶?お化けではないよ)を連れてくる。

人は自分の愛する、いい香りと共にやすまるのがいい。好きな香りに満たされるのがいい。(妙チクリンなにおいもいいけれどね・笑)

お互いに、愛おしい香りと共に、いい呼吸をして、エネルギーで満たしていってあげようね。