大地と宙と人と共に

どうしたら、大丈夫になるのだろうと、ここの所ずっと模索していた。窓の外の景色を眺めてみていた時、小さな答えは、想い出すように見つかってはいた。それは、木々や鳥たちと一緒に関わりながら生きて行くということ。

まだ暫く生きていないといけないであろう私が、如何やったら、より大丈夫に生きていけるか。宗教や信仰はその1つになる。それらをかじって味わってみつつ、でも今回は宗教に属するのはなしと決めた。自分の内側に決めたことは変更は可能なのに何故かそれを変えられない。特定の宗教に入らないと決めても、人は何かに属しているものだし、その中で存在しているのも事実。属さない世界は裏返せば属する世界と一緒。

辛くなって、どうしようもなくなって、誰かに頼りたくなって、執着にままならなくなって、離れられなくなって、そしてめちゃくちゃになって、、、。挙句の果ての言葉は、届くことはなかった。
それでも、この生を放棄する訳にはいかない。

どうやったら、人は助かるのか。どんなことにも大丈夫でいられるか。

具体的に解るものが欲しかった。きっと、それを、木々や、鳥は、教えてくれる。海や、岩や、森も、教えてくれる。波や、光や、星が教えてくれる。

強情な言葉ばかりが交わされて具体的にどうすればいいのか、立ち上がり方も解らなかった。だから、そのお手本や技術や智慧が欲しかった。私が解るようにして、解らなければ、解ったとは言えない。それを解りたかった。知りたかった。

足で大地を鳴らした。足は大地を感じる。ガンガン踏みならした時、大丈夫が身体で解った。大地を踏みならせば、大地は応えてくれて、自分に戻ることが出来た。シャーマン達の力もありがたかった。シャーマンは大地と宙と人を繋ぐ。

機械にばかり頼り過ぎて、大地と共にあることをすっかり忘れてしまった。科学や文明を批判する訳ではない。でも、ここで生きようとするのなら、それらなしには存在しえない。そうだとすれば、もっとそれらにも訊いてみなければいけなかった。

悲しみも苦しみも痛みも、大地は受け止めてくれる。それは、大きな救い。

今またそれぞれの為に、次への用意がはじまる。何処かでそれを望んだから、その道に向かう。何度も振り向いてはみるものの、戻らないし、戻れない。そのような仕組み。あの日、すでに決めていた。時間の長さは思っていたのとは違っていたけれど、それでも決められていた。

動くときに付着してくる感情が今はまだ痛いけれど、道の方向は、そっちがいいと解っている。

依存してはいけないというから、依存の反対が自立というから、一人でも大丈夫にならなきゃいけないと、全てを切ろうとした。下手に言葉に追いつめられて、次第に生命を失った。自立とか依存とか、随分と他人の言葉に振り回された。でも繋がっているということが自立で、根を下ろして、分かち合う事ができることが自立。

木々も鳥も花も星もそこにいてくれて、それぞれエールを送ってきてくれている。

大地と宙と人と共に、私はここにいて、またここから始めよう。