実家の事

お盆のお墓参りのため実家に寄った。空き家になってからも維持の為、頻繁に通っていた実家。去年、姉に剪定、草取りをお願いしたが、勿論まともにやる訳もなく、草はぼうぼう。身勝手な剪定をされた樹木は歪さを増していっている。

空き家になってから固定資産税の支払いや剪定、10年弱の間ほぼ私一人で頑張ってやってきた。何かを言えば無視もしくは文句しか言わない姉だから、仕方なく一人黙ってやってきた。誰か第三者が居るときは愛想よく振舞う姉だけど、大変な労力のいる剪定を私一人で頑張ってやり続けても労いの言葉の一つもなく、固定資産税を払い続けても全く無視。辛い立場にある人へ思いやりはない。権力側につき、新興宗教に入って頭と身を固め、自分自身で考えず、誰か権力を持った人が言うことで処理しようとする。自分にとって少しでも不利になることは一切無言で無視。対応する人によって態度を変える。愛想だけはいい。何気に自分の旦那自慢をする。多用する言葉は、分断にしかならない上から目線での”自己責任”。生命、生物を理解し対処するというより、私には無意味なエネルギーグッズとやらでの妄信偏見対応。

そんな姉がいる所為で、形成された所もある私。勿論相互作用による所もあろうけれど、随分心身ともにお気の毒だった私。染み付いた痛みは時に大きくぶり返す。かなり辛くはあるけれど、でも少しでも癒えるよう、考え方を更に見直すなどして何とか処置をしていかねばなりません。

実家に行ったら、それがどこからなぜやって来たもの解らなかったけれど、悲しい気分がやってきた。家が悲しんでいたのかもしれないし、私の中のどこか遠い一部分が悲しんだのかもしれない。私と実家、できる分だけ大切にしてあげよう。いずれ全ては果てるものだとしても、愛すべきはその行為だからとして。