用の美

くらげの様な日々。その下等動物ぶりを嘆き、もっと大脳(の働き)を持った高等動物になりたいと思うが、機能を大幅に低下させてしまった大脳は復活の兆しを見せず。
そんなボケボケの頭と、ヘルニアでヨレヨレの身体を引きずって、昨日は美術館をヨタヨタと歩いた。

老人化が進み、活字が読めない。いつもは、時間をかけて案内の解説も読むのだけれど、読もうとする気持ちはあるのだけれど、頭は働かず。脳機能障害進行中か。
しかし、なんとかまだ本能だけは、働いてくれるようで、興味を惹く作品の前に来ると、何故か脳機能が少々回復する。・・・いやはや本当にボケ老人的症状

この作品好き、と思って近寄ると、河井寛次郎の作品。近くで見てもステキだし、遠くからみても品があるように思う。顔写真も好き。いつも好きな作品に出逢うと、この人と会ってお話してみたいなって思う。故人であれば無理なのだけれど、でも作品に逢うことは、その作品の作者に逢っていることでもあり。作者は何も言わないけれど、でも作者は作品を通じて伝えてくれる。人間嫌いなんていいながら、やっぱり人間好き。

河井寛次郎記念館に行った時の事を少し思い出した。京都パークホテルから記念館までの道をお絵描き教室の皆でテクテク歩いた。自身の設計によるお宅(現記念館)は、お部屋や通路は沢山あるのだけれど、中央の囲炉裏の場所から「ご飯よ〜」といえば、全ての家族に声(音)が届き、家族が中心にさっと集まって来る事ができるようになっていた。
お客様も囲炉裏(火)の側でくつろげる。風の通り道は幾通りもあり、内と外の自然が繋がっていた。路地に入った所にあったのも良かった。帰り道はぐるりと寄り道をして、お茶屋さんやお豆腐屋さんなどを通り国立博物館の横を通ってホテルに戻った。ふむ懐かし。

民藝運動」の意味する「民藝」。それは多くの人が感じているであろう「民藝」とは違うと思う。民藝の意図するところを知った若い頃、用の美っていいなと思った。飽きっぽい私は(やっかみも少々あるかもしれないが(~_~;))鑑賞するに美しいだけのものもいいけれど、やはり用いる楽しみが無いものは、私には不要かもねぇ、等とよく言っていた(笑)
やはり、今の私には、美しいだけのものより、使える楽しさを持ったもの優先。それが美しければ、それはもう幸せな巡り合わせです。

河井寛次郎の作品を通りすぎた所に棟方志功の版画があった。棟方志功河井寛次郎の事を師と仰いでいたと解説にあり、ちょっとニコッとしてしまう。

志功ちゃんの絵はやっぱりエネルギーがある。ボケた頭もちょっとシャキッと元気になってくる。生きる力が湧いてくる。版画の中で踊る豊穣な女性(女神)達を見ていると、女性は本来皆豊かな女神なのだなぁという気分になってくる。大地のエネルギーも貰えた気がした。

木喰仏が3体ほど展示があって、これも目をひいた。作者の木喰上人という人の事を知らなかったけれど、友が、全国あちこちに作品があり県内にもあると教えてくれた。ネットで調べてみると、1718年ころ現在の甲斐の国に生まれ、十四歳で家出。江戸で様々な仕事をしたが成功せず、二十三歳で出家。五十六歳のとき諸国廻国行脚を志す。61歳から仏像を彫り始め、91歳まで彫っていたそう。没年は93歳。
好きなことをして、好きなように生きて、長生きした点では北斎と一緒かも(笑)
こちらも、志功ちゃん同様、生きる活力をいただけたような気がします。ありがとうございました。

今回は、なんとなく、展覧会の意図っぽいものを感じた。今という時代性に必要なもののような気が勝手にしている。
生きる事を、生きている事を、ゆっくりでもいいので、丁寧に大切に。お大事にね