県立美術館リニューアルオープン

5月の末から改装の為クローズした山口県立美術館のリニューアルオープン。新しくなってから最初の展覧会は「ウィーン美術アカデミー名品展(ヨーロッパ絵画の400年)」。20数年前のオープン当初から長きに渡って多くの美しいものに出会わせてくれた場所。そんなとても大切な場所であるので、どうしても初日に行きたくて開館時間に合わせて出かけることにした。

美術館へ出かけるときは、絵の皆様に敬意を払うべく、少し身なりに心を配り、日頃はあまりしないお化粧などもしてみたりする。最近は入念にお化粧をしなくなったので、気合を入れてお化粧をしようとすると、なんだか妙におかしくなってしまって、首を傾げて笑ってみたり、眉をひそめてみたり。日頃しないことをし始めたので時間がかかり、案の定出かけようと思った時間から遅れてしまう。県立美術館は9時が開館だったと思うのでそれに合わせて出かけようと思ったのに、駐車場についたら9時半を過ぎていた。

いつもは前売りのチケットを買うのに、時には美術館前のチケット売り場で購入するのもいいかも?と思い今回は買わずに行った。久しぶりに売り場でチケットを買おうとすると「今日は10時からオープニングセレモニーがありますので、それまで待って頂くようになりますけど、その後学芸員の方の説明がありますからそれに一緒に付いて行ってご観覧下さい」とのこと。「チケットは要らないのですか?」とあらためて尋ねると、要らないとは仰らずに、小さな笑顔と小さな声で「ど〜ぞ」とだけ仰った。

数年前「大レンブラント展」というのを京都に見に行った時も、チケット売り場に並んでいたら見知らぬ人にチケットをタダで頂いた。この時は最終日の日曜日ということもあって、2〜3時間待ちだったと思うのに待たずに入ることができた。美術館の展覧会にタダで入るのは何度目だろう? 大好きなものが、タダだったりするときがある。その様な時はきっとそれは神様のお計らい。神様プレゼントをありがとう。

会場に入ると、お偉い方っぽいオジサン方やオバサマ方が沢山いらっしゃった。私的には余り好きではない(慣れない)雰囲気にちょっと嫌だなぁと思い、少しずつ後退りしてゆく。福田百合子先生(中原中也館長)他、どこかで見たことのある顔だなぁと思しき人達もチラホラあり。どうやら殆どの方が招待客の人達だった模様。

10時になってセレモニーが始まった。来賓のオーストリア大使、読売新聞社東京支局長他の皆さんの顔を繁々と眺める。ウィーン美術アカデミー絵画館館長(?だったと思う)が学芸員の方二人と来られていていずれも女性だったのは少し意外であったが、考えてみれば女帝の君臨した国の館長さんが女性であることはしごく当然ともいえる。館長さんはマリアテレジアと扇千景を足して三で割ったような感じ?の方だった。山口県立美術館の館長さんは初めてお顔を拝見したけれど、とても感じの良い方だった。ここのところ県立美術館に新たに開かれた感じを受けるけれど、この館長さん(&学芸員の方々)のお陰かなと思うとありがたく嬉しい。

同じ絵画教室に通っていたM井さんと思わしき方がおられ、声をかけるとやはり月曜日クラスにおられたM井さんだった。クラスは違ったけれど、県美展で準大賞を受賞されたりして他のクラスにも名前が知れていたM井さん。ご主人様の看病などもあって3年前位にB先生の絵画教室はお辞めになられたそうだけれど、それでも毎年県美展には出品しておられるらしい。もう70歳は越えていらっしゃるそうなのに、創造力のある方だなと深く感心する。

余り気持ちやイメージの伝わらない(笑)代読の記念祝辞等が終り、テープカットの後、皆ゾロゾロと会場をすすむ。去年、興福寺展で面白いブログを書かれていた学芸員の岩永さん(?)らしき人は今回は写真担当をされていて、今回の解説は展覧会のイメージを考えてか、女性の方だった。

美術館は一人で見るのが常なのに、M井さんの側にいたら「ご一緒しませんか?」という言葉が口からでてきたので、M井さんと着かず離れずで学芸員の方のお話を聞きながら一緒に会場をみて周った。

第一番目の部屋に入ると、場の空気に包まれて、わけもわからず全身の皮膚に電気が走る。感電状態?笑)のまま、暫く場の雰囲気に浸る。味わいは違うけれど、大レンブラント展、シャガールユダヤ劇場のセッティングの間、オランダ絵画展(肖像画)の会場などで、興った感覚と同じような感じ。古の人々の何かに皮膚が感応しているのかもしれないけれど、頭(脳みそ)の方はそれが何やら解らない。解ると面白ろそうだけど。

一番最初の展示室に飾られた大きな「女帝マリアテレジアの肖像」。学芸員の方の話によるとマリアテレジアは16人もの子供を産んだ人らしい。末娘はあの有名なマリーアントワネット。創造力溢れあらゆる面で豊かな人であったのだなぁと改めて思う。

二番目の展示室に入ると行く手に、とても可愛くて端正な顔立ちの男の子の肖像が目にはいる。ファン・ダイク15歳の頃の肖像画。肩越しに振り向くようにこちらに向けられた視線。暫し見入ってしまう。栗色の髪、襟元の白、紅潮した頬の愛らしさ、しかし赤い唇は下唇を少し前にだしてプライドと野心が見え隠れ。卓越した技量と知性と純粋性。思わず密かに心の中で何度もギューッと抱きしめさせてもらうヾ(・・;)ォィォィ。(耳が時々ツンとしたのはヤメロ〜だったのか?・苦笑) 

この可愛いファンダイクの肖像画の数枚先に、かのレンブラント(1606〜1669)の作品『若い女性の肖像』。人の多い中、遠巻きに顔の一部だけ暗く見えた時は、不遜にも「本物かしら?」などと一瞬思ったけれど(なんて失礼な!でも個人的には某保険会社の買ったゴッホのひまわりの絵は本物だと思っておらず)作品を目の前にして全体を見ると、紛れもなくレンブラント。あの透けるレース(シフォン)の感じや肉や血、温もりまで感じるようなあの手はレンブラント以外には描けない。巨匠と呼ばれる人の中でも、私にはこの人はまた別格。宗教やまた解剖学などを含めあらゆる側面から人というものについて、人としての尊厳について掘り下げた人だと思う。しかしどんなに言葉を連ねても、とても及びもしないし、只、もう、ひたすらにすごくて、言葉なし。

一昨年?福岡市立美術館(大英博物館展?)で素描をみて、一段とファンになったルーベンス(1577〜1640)の作品も来ていた。タイトル『三美神』。学芸員の方の解説によると、ルーベンスは作品を描くときにきっちりと分業していたらしい。そういえば、作品を目にした時、『三美神』の頭上に描かれた籠に盛られた花々と女神達の印象が何となく分かれて感じられていた。タッチや雰囲気が違ったからそう感じたのだろう。この『三美神』は、人物をルーベンスが描き、籠に盛られた花々と背景をそれぞれ、それを描くのを得意としていた者に描かせているらしい。商才にも長けていたらしいし、女ッ垂らしであったらしいし、ルーベンスが分業していたというのを聞くと、なんだかルーベンスらしいなという気がしてくる(笑)。学芸員の方も言われていたが、確かにルーベンスが描く女性の肌の感じは独特である。沢山の実物(女性)を見て触れて関ったからこそのもの(質感)。明るいパールを帯びたような肌色の側に影として添えられる色はブルーグレー。ヒュンヒュンといったある種の速度を感じるようでもある。緩急や力の強弱を筆に持たせながら結構早いタッチの筆遣いの人だったのだろうか?愛情持って沢山の女性の肉(肌)に触れたのだろな(笑)

富や繁栄の象徴とされる多くの花々や鳥達などが描かれた大きな作品を見るのも興味深かった。筋の入ったチューリップを始め、きっと香りも素晴しいに違いないオールドローズ、フリル一杯のカーネーション、花びらの数の多い芍薬、青色の朝顔、芥子、カンナ、水仙、ユリ、デルフィニューム?etc. 私の大好きな花ばかり。チューリップバブルの時代、沢山の品種の植物がもたらされたに違いないけれど、多くの品種改良もされたに違いない。1つの球根で家(小さなお城?)が1つ買えたとどこかで読んだような気もする。

他にも、インコ(南米??)小猿(東南アジア??)孔雀(中国??)名前は解らないけれど何種類も描かれた変わった姿の(改良された?)鳥(ニワトリ系?七面鳥系?)が描かれているものがあった。

色んな動植物が描かれているのを見ると、遥か遠い国々と貿易を行い、植物のみならず行く先々から動物も運ばれてきたことが画面から伺える。コバルトの染付けのチャイナ(中国陶磁器)、美しく磨かれた薄いクリスタルガラス、彫金の美しいトレイ、マンドリンやセロに似た楽器、etc. 葡萄をはじめ、パン、レモン、ローストされたお肉、どれも見事な素材感と共に描かれた食物は、豊かさと同時に儚さも寓意として添えられているものであると、学芸員の方が解説して下さった。豊かさを堪能しつづければ、そのうちに虚しさや儚さは否応がなしにいずれやってくる。全てはいずれ幻。

1階の大きな作品たちを眼下に見下ろしながら二階に上がり、暫く進むとルーカス・クラナッハ(父)(1472〜1553)の作品。全部で4点ほど並んでいた。北方寄りのヨーロッパの作品に触れる機会が少なかったこともあり、ザクセンの宮廷画家になったドイツの巨匠であるとは今まで知らなかった。当時の歴史的背景や気候風土的な要素も関係しているのかもしれないけれど、色味も表情もどことなく暗い。描かれた時代にも因るだろうけれど、地中海寄りのヨーロッパの国々に比べて入手できた顔料に違いがあるのかなと思ったりした。ルーカス・クラナッハはかなり人気のあった人らしい。4点はどれも小さな作品であったが、どのような人々と共に、どのような生活の場に飾られていただろう?

展示室の一番最後には風景画が飾られていた。風景画はそれまで人物の背景として描かれていたものが16世紀になって風景画として独立しはじめるようになったと説明書きにあった。「理想的風景(夕方)・祈り」という作品(ヨハン・ネポムク・シュードル・ベルガー)は、理想的な風景を想像で描いたものらしかったが、海の向こうに遠くにかすむ岩山、沈む夕日、音楽堂、湿度を感じるような苔(?)、緑の木々、親子の憩い、その絵から、沈む夕日の太陽のエネルギーや木々の湿度や長閑な家族の穏やかさが伝わってくるようだった。

途中別々になっていたM井さんと、2階の出口付近でまた一緒になり、暫くの間また立ち話をした。当然のように絵画教室に通っていた日々の話になる。県美展などにも意欲的に出品されていたM井さんは「B先生に個人的に2時間以上もお説教をされたこともあるのよ」と言われていた。そういえば私が在籍した土曜日クラスも、先生が仕事で忙しくなるのと正比例するように、数々の耳の痛いお説教を頂きました(苦笑)。過去の手痛い記憶についブーイングも混じってしまうけれど、去年の初夏にお母様を亡くされた後、今年2月にお父さんがお亡くなりになられたと聞いたので、さぞかし寂しい想いをしておられることだろう。

M井さんは県立美術館から近い所に住んでおられるらしく、聞けば道場門前にお宅があるとのこと。お宅の後には一の坂川が流れているらしく、一の坂川は桜並木の美観地区から上流の方向にしか気を止めたことがなかったが、その下流が道場門前の辺りへ繋がっているとは始めて知った。高校時代に道場門前のアーケードを通って通学していたことを話すと、M井さんと私は同窓であることが判った。一寸嬉しかった。

この日は人も多かったので、M井さんはまた改めて来ますと言われていた。私はもう一度ファン・ダイクとレンブラントの作品をゆっくりと見たかったので、引き戻ることにし、お互いに名前を確認しあってここでお別れした。入り口で最初お顔を拝見したときには、お顔の色が優れないようにおもったけれど(知り合いの方に重大な病気だと告げておられた)お話を交わした後は、顔色が随分と良くなっておられたのでその事も嬉しかった。

学芸員の方の解説も終わりセレモニーに参加された人達も潮が引くようにおられなくなり、ゆっくりと長閑でいい気分になってきた。引き戻る途中、以前作品解説を聞いたことのある声のステキな学芸員の方が子供達に向けて作品解説をしておられた。なかなかよい風景。Lさんとお友達のIさんのお姿を見かけ、遠巻きに軽く会釈をすると少しの間をおいて気づかれた様子。少しだけ会話を交わしたけれど、頂いたお人形のお礼を言うのをすっかり忘れていた(~_~;)。

さて今回はリニューアルということだけれど、一体どこがリニューアルになったのか。空調面が新しくなったとセレモニーの時に話されていたように思うけれど、空調の何処がどのように変わったかは全く解らない。私が分かった所といえば床が新しく張り替えられていたことぐらいである。先日大アンコールワット展に行った時(大でなく小だったけど・笑)、県立美術館に無くてここのデパート(会場)に有るものと言ったらスポットの照明かな?と思ったが、今回リニューアルされた天上をみてみると、スポットの照明があった。絵を鑑賞しているときには気づかなかったけれど、より効果的に見ることができるように作品にスポットが当てられていた。以前は無かったのではないかという気もするけど、どうだろう?照明の光は絵に良くない影響を与えるものだったと思うが、最近の照明は絵に対するダメージがないものになってきているのかもしれない?

お昼時間になると人が殆どおられなくなったので、ファン・ダイクの肖像画の前まで戻って、またじっくりと見つめてきた。何度見てもとても魅力的。ちょっとだけ作品の前で目を瞑ってみたりした。

見終わってスロープを降りるとアンケート用紙があったので、記入して帰った。今回の展覧会で良かったものは?という問いに、色々書きたかったけれど、テーブルが低くて書きづらく面倒臭くなったので本当はレンブラントの作品やファンダイクの作品と書こうかと思ったのだけれど、敢えて「山口県立美術館の館長さんと学芸員の方々」と書いておいた(笑)

近年は内容の薄い展覧会も多かったりするけれど、久しぶりの開館であった今回の県立美術館の展覧会は充分に堪能できた。長時間美術館にいた所為で少し疲れてしまったけれど、でも印象に残る満足のいく展覧会だった。4月16日はベルサイユのバラの著者の池田理代子さんが講演にこられるらしいし、ゴールデンウィーク中(5月1日〜7日)はまた特別に夜間の開館があるらしい。前回の興福寺展の際いつもと違う夜間の美術館の雰囲気をとても気に入ったので、また気が向いたら夜間に来てみようと思う。