田ノ浦ギャザリング

もう明日のことだけれど、「田ノ浦ギャザリング」というのがある模様。

マイミクさんに貼ってあったリンクを辿っていたら、リンク先の過去ブログに、

 〜〜〜〜「向こうの島に住んでいる人たちは少数だから、多数の人にやり込められようとしてる」 「ここにたくさんの人が住めばいい」    会話の中に、メラ、メラという言葉があった。   メラ     「メラ」ベンガル語でお祭り。 〜〜〜〜

っていうのがあって、妙に腑に落ちて、なるほどって感じがした。

さすがに、あそこに沢山の人が急に行って住む訳にも行かないだろうけれど、でも意識の力はある。みえなくても、ある。

た〜〜くさんの人が、そこに楽しく集うこと。そのような場所。アジール

原発に関して、想いの寄せ方が、意識が、チューニングの仕方が、私的に間違っていたかなぁという気もする。それも必要なプロセスとして、仕方なかったと思うけど。開かれない意識を持ってしても、ダメ。そんなことは当たり前。そしてその当たり前を知らぬ、創造力と行動力に欠けるボク。ガッカリ・・・ショボ〜ン。

原発への関わり方って私的には難しい。私ができる時に、私ができる範囲で、気持ち的には1つの悲しみと100の楽しさくらいでいいかな。私に何ができるんだろう。。。

祝島に住む〇村奥さんのことを想い出したら、力が湧いてくる気がした。私の心も普通に開いて行ってくれそう。あの奥さんがあの海と一緒に、あのご主人と一緒に、あの海と共に笑顔でいれることを祈り願うことから始めよう。